老兵 まだ、去らず。
階段から落ちた。
洗濯物を持っていたわけでもぼんやりしていたわけでもない。
いつもと同じように下っていた最後の3段、体重がうまくかからずするっと踏み外してしまったのだ。
あまりにも不意の出来事だったので防御する前に落ちていた。お尻と脇腹があまりに痛くて声も出ない。しばらく動けないで呆然としてしまう。
階段から落ちる?私が?
小学校中学校と学年1の俊足でリレーの選手を務めた私が?高飛びで男子と一騎打ちをした私が?
加齢とともに衰えは感じているものの、自分の体のコントロールもできずに階段から落ちるなんて。
痛さに加えてショックで動けない。
夜には手のひらくらいの真っ赤な、まるでバラ星雲のようなアザができた。
痛がっていると娘に整骨院に行くように言われた。尾てい骨を打ったので、ムチウチが心配だ。
娘の言うことを素直に聞いて、翌日いつもの整骨院で治療してもらう。
幸い心配するような事態でなくホッとする。
トシを感じます、嫌になっちゃうと弱気に言うと先生は「若い人だってよくやることですよ。落ちた時に変に防ごうとしなかったのがかえって良かったです。落ちないように踏ん張ると逆に良くないんですよ」と慰めてくれた。
大きなアザは翌日、今川焼きのアンコのような色になった。
いつからだろう、娘の歩くスピードについていけなくなったのは。
学校まで10分かかるんだからもう少し早く家を出発しなさいと毎朝のように言い争いになる。
10分もかからない、5分で着くと言い張るので、ある日実際に歩いてみた。
普通に歩いたら8分だった。スピードを上げてかなり集中して歩くと6分で着いた。かなり息苦しいが、娘の言ったことはあながち嘘ではなかった。
娘の隣を歩いてみると遅れをとることもある。
いつのまに、いつのまに私より早く歩くようになったのか。
よちよちと手をひいて歩いていたのにと思いハッとする。
成長してほしい、と同時に、成長してしまったらなんだか寂しい。私の元を離れる寂しさも自分の衰えを感じざるを得ない不甲斐なさも混じりいたたまれない思いになる。
娘が中学生らしくYOASOBIの歌を口ずさむ。今の子はなんてせわしない歌を歌うのだろう、そんな早口の歌をよく歌えるなあと感心した瞬間、若い頃母が「小室哲哉?なんだか落ち着かない曲だねえ」と言っていたことを思い出した。
いろんなことがどどっと押し寄せてくる。
老兵は去るのみか。
いや待てよ。去ってはいけない。
自分を越してくれるように日々育てているのだ。
いざ越されたからと言って感傷に浸るなんて、弱気になるなんて。本末転倒だと、いぶし銀のように復活する。
まだまだやるべきことは沢山ある。危うい思春期の子供を支えていかなくてはならない。
そして娘だけでなく生徒も入試本番の時には私を追い越してくれるほどになってもらわなければならないのだ。鋭い知恵の刃をびっくりするくらいの集中力で振り回せるようになってくれなくては、特に難関校には太刀打ちできるはずもない。
素質も気持ちも十分、落ち着いて勉強することがすでにできはじめている生徒には容赦なく難関校問題のプリントを与える。
灘、早稲田、桜蔭。
その名前に踊って取り組む、そんな浮かれた気持ちも大切。
でも、まだまだ目の付け所が甘い。解けない悔しさもバネになるだろう。課題はたくさん。
脳みそをギリギリ言わせながら私も予習する日々です。
老兵まだまだ、去りませんよ。
前述のYOASOBIのCDがほしいと言うので調べるとなんと、初回なんとか版を除いて販売されてない。すべて、すべてインターネット配信なのだ!USBに1曲¥550でダウンロードするとな!
娘に、アルバムは発売されてないよ!と言うと、「アルバム?写真?」と、これまた黒ヤギさん白ヤギさんのようなやりとりになってしまった。
なんで?インターネット配信なんて、実体がないじゃないか!
と憤慨していると主人がニヤリと笑った。「音楽なんてモーツァルトの時代からとっくに実体なんてないじゃないか」
おかしいな。主人だって老兵のはずなのに。
ちょっといじけて、ポチッとマウスをクリックした。
ダウンロードは数秒で終わった。
やれやれすごい世の中だね。