[コラム]『赤ずきんちゃん気を付けて』~ 変な春の日 ~

変な春の日

新学年、新学期、クラス替え。学校からのお便りが大量で、記入提出書類も数多く。2-B2-Bと呟きながらも、1年生の時の癖でAと記入していることにしばらくしてから気がつき、慌てて訂正する。新しいクラス章を買わなくちゃと娘がなんとなくうきうきしていることに、そうか春という季節はステップアップの季節なのだなと改めて思い出す。

学生の頃は春が来るたびに階段を上るのが当たり前だった。絶対的に進級はするからだ。しかし社会人になってから、そういう感覚は希薄になっていった。仕事柄春になれば新しい子たちとの出会いはある。寒さも遠ざかり街に白く桜が咲き渡りそしてひらひらと散っていく。そんな新しい季節は毎年楽しみだけど、「自分が階段を上る」という感覚はもはやなく、娘を通して当時のことをざらっと思い出すだけだ。
いや、でも。
学生時代に「新学年になる、ステップアップする、進級する」感覚があったのかどうか。それはあまりに当たり前なことすぎて当時はむしろ、何とも思わなかった気もする。
渦中の本人はなかなか自覚が持てないものなのかもしれない。「6年生だから、受験生だから」と急にシャキッとしてバリバリ勉強を始める6年生は、あまり見たことがない。中学3年生の高校受験生だってあやしいものだ。受験生としての自覚というものはきっと日々勉強していく中で少しづつ培われていくものなのかもしれない。
「やってみる→できた→時間をおいてもう一度やってみる→できない→なんで!やったのに!悔しい!」
「やってみる→できた→少しレベルを上げてトライ→できない!悔しい!」
それを繰り返すことでしか学力は成長しない。できた喜びもできなかった悔しさや不甲斐なさも原動力になる。模試の結果に一喜一憂せずに淡々とコンスタントにコツコツと。そんな6年生になりますように。

私が中3の春にちょっとした事件があった。

新クラスになり、中学で初めて当時密かに憧れていた男の子と同じクラスにもなれて、とにかく浮かれてしまった。すっごく楽しい1年が始まる気がして、全てに対して力が溢れ出るような気持ちになった。朝も起きられるし朝ごはんもおいしい。
クラスの委員会決めも係決めも済んで、さあ今日は席を決めるという、4月の月曜日の朝。

私は交通事故にあった。

友達と登校中、点滅した青信号を渡ろうと走って、大きな道路の交差点で左折車に飛ばされたのだ。
友達はその車が見えたので避けることができたけど私からは車が見えず、気がついたら横断歩道に倒れていた。一瞬のことだったので自分が車に飛ばされたことに気がつかなかった。自分で勝手に転んだと思って、みんなに見られて恥ずかしいし、あらぬ方に落ちているカバンを慌てて拾ってそのまま学校に行こうとした。
当然車の運転手さんが出てきて謝って、自分の額から血が流れてきたことに気がついてようやく、私は交通事故にあったんだとわかった。
今日は大事な席替えなのに‥(涙)

近所にあった小さな外科を朝から起こし、手当てしてもらっていると、担任の先生(理科の先生で白髪の背が小さい気のいいおじさん先生だった)が白衣のまま血相を変えて飛び込んできた。私の怪我が重症→重体などと大げさに伝わってしまったのだ。黒い丸イスでおでこに大きな絆創膏を貼られている私を見て先生は安心して崩れ落ち、しばらくしてやってきた父親と、無事でよかったと興奮気味に話し最後には「中3らしく落ち着いて行動するように」こっぴどく叱られ、その日は家に帰された。
父親と家に帰る途中、いつもの商店街は平日の午前中で大人たちはなんだか別人に見えた。重そうなアイロンをかけているクリーニング屋のおじさんも開店準備をしているスーパーのおばさんも、私がいつも見かける夕方の時間帯とは違った人に見えた。よく似てるんだけどその人の着ぐるみを着ているような。私が学校に行っている間大人たちはこんな顔なんだな、なんてぼんやり帰ってきてベッドで寝ていたら、ベッドの下からなにかの鳴く声が。
飼い猫が子猫を5匹、産んでいた。

とても変な、変な中3の春。
受験生としての自覚‥を持てたのは夏頃だったと記憶している。毎日夏期講習に通ったからだ。毎日勉強するってすごい効果があったんだなと今更のように実感する。

6年生のみんな、春期講習お疲れ様。
算数はここからだよ。次のステージに進もうではないか。目の前のことを1つづつクリアしていこうね。