[コラム]『赤ずきんちゃん気を付けて』~お節介のススメ~

と、いうことは。~お節介のススメ

誰か気がつかなかったのか。
誰か止めなかったのか。

残酷な事件が報道される度に思う。
野田市の児童虐待事件。川崎市の連続殺傷事件。京都アニメーションの放火事件。
平和と思う私の日常からほど遠い場所で起こっているわけではない、もしかしたら壁一枚隔てた隣で起きていたかもしれない、たくさんの事件。
虐待され泣き叫ぶ児童の声は隣人に聞こえていただろうし、引きこもりに頭を悩ませていた親戚は行政に相談していたというし、台車にガソリンの携行缶を積んで運んでいたのは昼間なのだから誰かの目には止まっているはずだ。それに、どんなに大きな事件でも突然起こるわけではない。予兆やサインは誰かしら気付いていたに違いない。
なのになぜ。

いつも思う。誰にも子供時代はあったはずだ。残虐な事件の犯人にも。
どこで、どのタイミングで、ポイントを誤ってしまったのだろう。子供時代のどんな暗い影が、その人を違う道に引き入れてしまったのだろう。

と、いうことは、だ。
考えたくないことだけど。
今の子供のなかにも、そんな道に進んでしまう子がいるかもしれないということだ。

少し前に娘が学校で怪我をした。授業中に座っていた椅子をふざけて引かれて、しりもちをついたのだ。その様子を笑い、からかった、やんちゃ坊主。
病院では打撲の診断、翌日から宿泊学習。冗談ではすまされない。
何とか宿泊学習には参加はできたけど、帰ってからもその影響でムチウチに。
その子の言い分がこうだ。
ちょっとふざけてただけなんです

悪いことをしようと思って悪いことをする→極悪人
そんなつもりじゃなかったけど、結果的に悪いことをしてしまう→悪人

どちらも成人ならば逮捕です。悪事であることには間違いないのだから。12歳が子供だから許されると思ってはいけない。来年には中学生だ。今こそ善悪を教えなければならないはずだ。それが大人というものだ。

私が子供の頃は、そんなやんちゃ坊主は学校の先生や近隣のおっかないおじさんおばさんに怒鳴られていた。そんな機会はあった。ところが今や、周囲どころではない、保護者でさえ仕事で忙しいことを口実にして子供を放任し、やんちゃ坊主は叱られる機会を失った。やんちゃを大人しくさせるためにとりあえずゲーム機やケータイをいとも簡単に買い与える。それでいて、この子ちっとも勉強しないんですなどと言う。そして子供はほめられも叱られもしないまま大人になる。

みなさん、もっとお節介になりましょう。面倒くさいことですが、このままじゃ善悪の線引きができていない野蛮で住みにくい世の中になりますよ。自分だって、順風満帆に大人になってきた訳ではないはず、人生のいろいろな場面で軌道修正してくれた大人や出来事があったはずですよ。

子供のためと思ってさせる中学受験。遊び盛りの子供を机に向かわせる中で、ある程度のひずみは生じてしまうものです。
何で私はみんなと遊ぶ時間が少ないの?なぜ好きな習い事をやめなくてはならないの?なぜ休みの日なのに勉強しなきゃならないの?じゃあ塾にいけば第一志望の学校に合格するの?
すべての「なぜ」に答えはない。遊ぶ時間や習い事の時間を削っても期待するような「最良の結果」を得られると保証できるものはなにもない。
勘違いしてはならないのは、中学入学後も勉強は続けなくてはならないということだ。日本にいる限り学生である限り。いやそんな理由ではなく、誤解を恐れず言うなら「自分のために」勉強はなされなくてはならない。

偏差値を5上げるため、志望校合格のため。そんな騒々しい言葉に惑わされるのはやめようではないか。目の前の、苦手な問題をまず1つクリアすることから始めるのだ。どこまで行けるか?轍はその子が通ったあとにできる。ゴールを定めることはとても重要だけど、まずは目の前の課題をクリアする子供にエールを送ろう。大人は見守り、状況を受け入れるのみ。子供のやることに失敗があるとすれば、それは大人の作戦ミスだ。子供のせいではない、絶対に。いじけた子供を作ってはならない。これから思春期を迎える子のせいにしてはならない。

自分の子供だけ叱るのだってなかなかのパワーが必要なのに、道路に飛び出してきた小学生を自転車で引きそうになったとき、丸ノ内線でうわばき袋を振り回して私に当たったとき、人様の前で人様の子供を叱りつけるのは本当にパワーが要ります。もう疲労困憊です。でも、しなきゃいけないんです、大人として。

そんなことばかりしてるからこの眉間に縦皺ができるんだよなと、鏡を見ながら一生懸命に皺を伸ばす姿は誰にも見られたくないなあ…。