中学入試の合否は、子どもの人格が学校の「格」に「合う」かどうか
私は常日頃から、「中学の入学試験は“採用試験”である」と言っています。入学試験というのは、単に学力を調べたいのではなく、その学校がどういう生徒を欲しいのかというメッセージが込められていると考えるからです。どれだけ学力があるかを測るために偏差値という数値で結果を出す模擬試験とは、そこが決定的に違います。
その学校がどういう生徒を求めているのかは、偏差値を見ただけではわかりません。建学の精神といったものまで立ち返って、その学校の中身まで理解して初めてわかるものです。そこに表れるのは、単に偏差値だけでは測れない学校の格といってもいいでしょう。そう考えると、入学試験に合格するというのは、文字どおり「格」に「合う」こと、その子がその学校の格に合うということなのではないでしょうか。
だから、私は合格するかどうかは偏差値で決まるのではなく、その子の人格がその学校の格に合っているかで決まると思っています。問題はその子の性格で、性格は変えられません。ただ、自分の性格を自覚し、人格と呼べるレベルへ高めていく。そこに人間の成長があると思います。合格する子に育つのです。
それは決して偏差値を無視するということではありません。偏差値は学力を測る目安としては必要なものです。でも、偏差値だけで学校の合否は測れません。実際、同じ偏差値の学校なら全部受かるのかといえばそうではなく、模擬試験ではその学校の志望者中で順位が1番だった子が、本番では不合格になったということも起こっています。したがって、わが子を志望校に合格させたいのであれば、ただ偏差値だけを上げればいいというのではなく、学力とともに人格も高めて、志望校の格にふさわしい人間に成長させることが必要なのです。
人格を高めるには、まず基本の形を身につけさせたい
ただ、「格にふさわしい人間」に成長させるというのは、そう簡単なことではありません。特に今の子どもたちというのは人間としての芯になるものがなく、これまでだったら当たり前と思っていたことさえ身についていないことが多いと感じます。
例えば昔の日本でしたら、論語などの中国の故事成語を教えるといった教育のバックボーンがありました。学校では漢文は習わなくても、小学校の先生が何かの折に「君子危うきに近寄らず」とか「衣食足りて礼節を知る」といった言葉を取り上げたり、あるいは親がそういう言葉を教えたりしたものでした。でも、今は塾の授業でそうした言葉を出しても、子どもたちは誰も聞いたことがないと答えます。また、算数で線分図を使って考えましょうといっても、今の子どもたちは描こうとしませんし、何とか描かせても真っ直ぐに線を引けない子が多いのです。昔は、最初は定規を使って線を引く練習をして、真っ直ぐに線を引くことを身につけましたが、今の子どもたちは最初にそういうことをしていないので、きちんと線を引く形が身についていないのです。
万事がその調子ですから、今の子どもたちに勉強を教えてもなかなか身についていきません。堰が無いために、川に土が堆積せず、すべて下流に流れていってしまうようなものです。そうならないようにするには、勉強においてもまず基本の形を身につける必要があります。サッカーや野球を習う時でもまず形から入るのと同じです。
勉強の基本の形というのは、鉛筆を正しくにぎる、定規を使って線を引く、先生の話をちゃんと聞く、大事なことをノートに取る、問題文を終わりまで読む、自分の頭で考えて答えをだすといったことで、これは単に勉強だけではない、人間としての基本だと思います。そういう基本が身につくことで、勉強面において色々なことが効率よく身についていくだけではなく、人間としても成長し、人格が高まることにもつながっていきます。
勉強を続けていくことでそのように人格が高まっていけば、志望校の合格に近づいていくことは間違いありません。反対に、嘘をついたり、ごまかしたり、悪いことは何でも人のせいにするという人間として未熟な人格のままでは、勉強は身につかないし、合格も覚束ないでしょう。
親は子どもの成長を内面から見てほしい
人間として成長していくには、まずできない自分を早く受け入れて、自分の頭で考えることが大事です。それができれば、自ずと結果に対する責任は自分にあるという自覚も出てくるので、結果を出すために努力するという気持ちも高まっていきます。そういう努力ができる自分でありたいと思うようにもなります。そして、そのほうが自分でやったという実感が出てきて、難しいことに直面した時にも逃げずに頑張れる辛抱強さや粘り強さが出てきます。
物心がついて思春期に差しかかるこの時期に中学受験をすることの意義は、この人間としての成長を同時に獲得できるところにこそあるのだと思います。そして、この高い人格を獲得する努力にこそ価値があると思います。それに気づかれたならば、中学受験をやってよかった、成功したと胸を張れるのではないでしょうか。たとえ第一志望校には合格できなくて悔し涙を流したとしても、受験勉強を通して人格を高めることができた子は、中学受験をやってよかったと言えるはずです。
こういう考えで受験勉強に取り組んでいったときには、たとえ結果がどうであれ、みんないい顔になってきます。知的な顔になってきます。ものごとにじっくり取り組む集中力のある落ち着いた顔です。それが、人格が高まり成長したということの証なのだろうと思います。そういう成長の変化を、親御さんとしては数字の波、偏差値が上がった下がったで見るのではなく、間違いなく子どもがしっかりしてきている、成長しているという視点でもって確かめて欲しいと思います。その内面の成長を感じられたときが親としての喜びなのではないでしょうか。親御さんには是非子どもの成長を認めてあげる言葉をかけて、ほめてあげてほしいと思います。それが受験生をサポートする立場である私の願いです。