[コラム]『赤ずきんちゃん気を付けて』~ 夏の大仕事 ~

夏の大仕事

じゅんちゃん、山椒の葉っぱ、とってきてくれる?

縁側から母が声をかける。
私は軍手を外して、グミの木の隣に生えている地味な山椒の木から、5センチほど葉っぱをちぎり母に手渡す。ふわっと香る独特な香り。
ほどなくしてお昼よーと声がかかり、父はハシゴをゆっくりと降りて弟と私は軍手を脱いで競うように縁側に走りこむ。

子供のころ私の住んでいた家は信じられないくらい古い家だった。東京23区内にも関わらず、東京大空襲も運良く合わずに生き抜いて建て替えもされていなかったので、庭を掘れば爆風で吹き飛んだのか割れた茶碗のかけらが出てきたし、裏庭に続く通路にはなぜか使われなくなった火鉢が伏せられてずらりと並んでいたし、夏になれば子供の背を超える雑草が生えたし、網戸のない縁側からは蚊やカナブンやセミが入り放題だった。
梅雨明けの木々は緑深くもりもりと育ってしまい、日曜日の度に家族総出で手入れをするというのが毎年の夏の風景だった。
枇杷、松、柿、椎。
今思うとなんて節操なくいろんな木が植えられていたのだろうと改めて思う。
切っても切っても減らないように思えるたくさんの枝を、汗だくになりながら無心に落とす父。落とされた枝を集め、木に絡みついて上に伸びまくる頑固な雑草を綱引きのように引っ張る弟と私。熊手でガサガサ葉を山にしてどんどん燃やす母。消防法で焚き火が禁止されている現在では想像もつかないほどの大量の濃い煙が、風も吹かない真夏の青空に吸い込まれていく。

お昼ご飯は決まってお中元でいただいたそうめん。
大きな器に氷と山椒の葉を浮かべる。
ピンクや緑の色のついたそうめんを食べた食べないで必ず弟と喧嘩になった。
さてもうひと踏ん張り。
クビにタオルを巻いた父がよっこらしょと立ち上がる。

相似だ旅人算だ最大公約数だと問題に取り組む子供達を見ていると、自分の小学生時代の夏休みはいったいなんだったのか、幻のように思うことがある。
時代が変わったんだよと言われればそれまで。
テレビでふと昭和の様子を特集していたりする。
お母さんの子供のときってこんなだったんでしょう?と、娘がニヤニヤする。
スカートでゴム跳びしたり喫茶店でインベーダーゲームをする映像を見ると、まあそうだね、こんなだったかな、などと曖昧に思う。
当時はなんとも思わなかった流行りの女の子の髪型も今見ればなんだか妙ちきりん。
今のこの瞬間だって、20年も経って未来から見ればへんてこに見えるんだよきっと!などと、娘に無駄な応戦をする。

毎日朝から晩まで塾に来て勉強する夏。
長い人生の中で何かに集中する、取り組む。そんな経験が無駄になるはずはない。何年たっても誇れる経験になると思う。幻のように遠く思える年月が経っても。

昼休み!散歩に行こうよ!遊びに行こうぜ!
午後の授業まで、寸暇を惜しんで暑い中外に出る。
蝉の声。アスファルトの照り返し。鼠坂。
この前みんなで散歩してたら急に暗くなってすっごいでっかい雨が降ってきてずぶ濡れになったんだよ!
ゲリラ豪雨ですら楽しい思い出になる。

夏期講習も残りわずか。
一問一問大切に解こう。充実の秋を迎えられるように。
みんな、がんばろ!(メインディッシュは図形ですよー)