カタコトでいいから
雨の日にあなたは何をする予定ですか
もし明日が晴れの休日なら、あなたは繁華街へショッピングに出かけるでしょう
あるいは田舎道をサイクリングするでしょう
でも明日が雨ならあなたは何をする予定ですか?
ああ!今日は雨だ!僕は家の中で寝る!
と言って寝ますか私は雨の日に家の中でお気に入りのCDを聴く予定です
娘がリビングルームで英語の宿題をしている。my favorite CD と書いてあるのだなと、私は玉ネギを刻みながら推察する。
英語初心者のカタコトの翻訳を聞くのが好きだ。テーマはきっと、現在進行形。
書いてある英語の文章をそのまま日本語にすると言葉の成り立ちの違い、文化の違いがそのままごりっと浮き彫りになる。間違ってはいないけれどどこか不自然な翻訳を聞くとなんだか新鮮な気持ちになる。「こなれた日本語」に直す余裕はない、でも文章を忠実に追いかけようとする姿がなんとも初々しい。いつもは自室にこもってしまう娘を促し、わからないことがあったら聞いてねなどと偉そうに言ってわざわざ近くで宿題をしてもらっている。反抗期絶頂の娘の、凪のオアシスのような夕方はただ甘く流れる。窓の外は冬の茜色。金色の豊かな時間がエーテルにようにとろりと流れる。
受験算数は時間勝負。与えられた問題を息つく暇もなくテニスのラリーのように返していくことが求められる。線分図や面積図のような定石を駆使して解く力が求められるが、この問題には線分図、などと「暗記する」もしくは「当てはめる」ことは全くナンセンスである。カナヅチやトンカチの使い方は知っていても使い慣れていなければ何も作れないのと同じだ。
受験本番間近の6年生。2月当初は本当に初々しい算数初心者だった。もちろん5年までに積み上げたことはたくさんあるしその土台がないと6年生は迎えられない。親方には道具の使い方を十分習ってきた。それが5年生までのあり方であるのに対し、6年では自分が棟梁となり、今まで培ってきた経験を生かし誰に助けられることもなく自分で一軒の家を建てなければならない。試験会場では一人で問題に対峙しなければならないのだ。
文章を式にすること、図にすること。図の中に相似を見つけること。通過算では電車とトンネルをきっちり書くこと。
初めはもどかしくなかなかうまくいかなかったことが全て、今や一人前の職人のように手が動くようになっている。立派に成長した6年生を今すぐにでも讃えたいけれど、これからが本番。全ては皆んなに伝えたので私はせめてみんなが力を発揮できるように祈るだけだ。
1年前の、カタコトのようなみんなの算数、大好きだったよ。間違った考えも、途中で道を外れてしまった失敗も、私が促せば前に出てきて果敢にみんなの前で発表してくれたね。一人の間違いはみんなで共有、正しい考え方もみんなで共有することができたね。
自信を持って試験会場に行ってください。輝く中学時代まであと一歩。
集中して。
解けるはず。