[コラム]『赤ずきんちゃん気を付けて』~父の枇杷の木~

父の枇杷の木

住宅街の低い塀の向こうから、狭そうに小さな枇杷の実が覗いている。今年ももうそんな季節かと気がつく。ころころと小さく実った、都会の空気にすすけた枇杷の実。種ばかり大きいんだろうな、そんなに食べるところはないんだろうな。それでもカラスくらいはつつくだろうか。そして、独特の深緑の肉厚の葉。からからに茶色く乾いてから燃やすとパチパチと乾いた音が出る。

梅雨が始まろうとする頃になると、父は毎週日曜日の度に梯子を出し、汗だくになりながら庭の茂りすぎた枝を、葉を、落としていった。古い家だったので、いつもあまり手入れしないことも手伝って、庭の木は好き放題に枝を伸ばしていたのだ。子供の頃の私と弟も軍手をはめて、落とされた枝や葉を集めて、一ヶ所にうず高く積み上げる。ミミズがいたりダンゴムシがいたり、松ヤニでベタベタになったり。山のように積み上げられた葉は、乾く間もなく、どんどん燃やされる。早くしないと梅雨が来る、雨で濡れたら燃やせない。乾く頃には夏が来る、夏の焚き火は暑くて苛酷。ということでどんどん燃やす。
枇杷の葉は生のまま燃やすと、とても濃い黄色を帯びたような煙が出る。辺り一面煙だらけ。消防法で焚き火が禁止されている昨今からは考えられない光景だ。
お昼になる頃母が、おそうめんゆでたわよと私たちに声をかける。縁側でみんなですする。父は缶ビールを我慢してもうひと頑張り、また梯子にのぼる。
「じゅんちゃん、お母さんにボウルもらっといで」
頼まれたボウルを父に渡すと、高い木から何やら取って、ほい、と私に渡した。
ボールの中にたくさんの枇杷の実。
「まだまだあるよ、それお母さんに渡してきて。」

夕方になる頃には枇杷の実はバケツに二杯くらいになって、弟と私は汚い手でむいて次々に食べた。種はぷっとその辺に吐き出す。どっちの方が遠くに種を飛ばせるか!競争!
食べきれないほどの枇杷の実は、ご近所にも分けて回る。

「あら、ありがとう、今年のは大きいわねえ。」「ええそうなんです、去年小さかったから。」

そんな大人の会話を聞きながら、その家の子とまた種を飛ばす。
散々配り歩いて帰ってきて、もうそろそろ焚き火もおしまいという頃に、母がアルミホイルを巻いたさつまいもを火の中に入れる。梅雨前のもったりと湿った灰色の空が次第に濃くなっていく中、太い幹がその中に宿す炎は、オレンジ色に溶けたガラスのようだ。
私はその火が少しずつ少しずつ弱くなり、寿命を迎えていくのを見るのが好きだった。ふわふわと白い灰が時おり風に舞い上がり、あんなに大きかった昼間の炎が、太い幹が、たくさんの葉が、こんなにも小さくなってしまう。その火を最後まで看取らなければならないような気が、いつもしていた。
枇杷の季節になるといつもよみがえる、子供時代のみずみずしい思い出。

「5:10~5:30」
私はホワイトボードに書く。
毎週行っている、計算、一行題小テストだ。
子供たちは脇目もふらずとりかかる。いつもの光景。私の、生徒たちの日常だ。
蛍光灯の下、エアコンのかすかな音。
子供たちの姿を見ながら、子供の後ろにある、生き生きした思い出や感情や表情に思いを馳せる。去年の夏はどんな風に過ごしたの?今日学校で何があった?
点数や偏差値は大切かもしれない。学校を選ぶ目安は必要なのだから。
でもどうか。どうか、それだけで閉じてしまう子供時代ではありませんように。点数が悪かった、偏差値が伸びない、と下をむいてばかりいることがありませんように。
一人ひとり、自分自身で昨日できなかったことを今日できるようにすることが大切なのだ。昨日の自分より少しでも違う景色や達成感を得ることが大切なのだ。今日できないことは問題ではない、何もせず明日を迎えることが問題なのだ。

人生、思い立ったときにいつでもやり直すことはできるかもしれない。でも、子供時代は一度だけだ。教室で座っているだけで時間を過ごすなんてもったいないこと、しないでね。1つでもいい、今日はこれをやったな、わかったな、できるようになったな、と実感できる小さなことを入試までひたすら根気よく積み重ねよう。それしかない。

「あの枇杷の木はお父さんが子供のときに植えたんだって。」
母からその事を聞いたのは引っ越したあと何年も経ってからだった。
戦後まもなく父の植えた枇杷。引っ越すときはどんな気持ちだっただろうか。

八百屋で買ってきた枇杷。パックにきれいに並べられている。夕食のあと娘と食べた。
「あのね知ってる?種はこうやって出すんだよ。」
私は窓を開けて猫の額ほどの庭にぷっと飛ばした。
いつか芽がでるといいな。