[コラム]『赤ずきんちゃん気を付けて』~七転び八起き The Great Escape ~

七転び八起き〜The Great Escape

白いゴールテープが見えたという。

運動会。コロナ禍中制限だらけでとても例年通りとはいかないけれど、コンパクトに半日だけの開催となった。100メートル走、全校ダンスの他、競技種目は大縄跳びと全員リレー。中学初の行事に娘も少し興奮しているようだ。オーディションでダンスの最前列を勝ち取ったよと鼻高々に話していたのでぜひ見たかったのだけど、保護者参観は3年生だけという。仕方ない来年を楽しみにしているよと、元気に送り出す。

100メートル走は第1組の1コースなんだ。
靴を履きながら娘が言う。そうなんだ!ますます見たかったな。
いやいや、私遅いし大したことない、今回参観OKでも見て欲しくないわー。
行ってきます!

小柄で華奢で軽い娘。ストライドには限界があるし走ってもふわふわと加速しない。マラソンなら軽快にペースを崩さず、なかなか速いのだが、短距離は苦手なようだ。学生時代陸上部で短距離、中学までは学年一の瞬足で100メートル走もハードルも立派なハムストリングでどんとこい!だった私には、小学校時代からビリでこそないけれど1番になったことがない娘が歯がゆかった。子供の頃は走る技術ということよりも、負けたくない気持ちそのものが推進力になる気がする。あと一歩!をどうにも突き詰めないように見える娘の性格も以前からもどかしく感じていることの一つだ。(本人は精一杯なんだろうけれど)
6年生になる頃には徒競走もそれほど期待しなくなった。精一杯走ればそれでよし。大きな怪我をしませんようにと私は願うようになった。

ダンスでは絶対に最前列を取る!とオーディションの前に言っていたので、あれ、なんか変わったな、受け身じゃなく貪欲に目標に向かって体当たりする気持ちが出てきたんだなと頼もしく感じていた。雨で順延になった運動会も最後には晴天に恵まれ、どうだった?と聞くのが楽しみで私が仕事から帰宅すると、

膝に大きな絆創膏を貼った娘が弱々しく転んじゃったんだよと笑って言った。あらあらずいぶん擦りむいたね、保健室に行ったの?などと話しているうちに大粒の涙を流して泣き始めた。あと少しで1番だったのに、ゴール前で転んでビリになった!もう少しだったのに!
私の帰宅を待って泣き始めたようだ。保健室にも行かずに友達にもらった絆創膏を貼ったままだという。それじゃ化膿するからシャワーで洗い流しておいでと言っても本人痛いだの悔しいだのみんなの前で派手に転んで恥ずかしいだので大号泣、私の声など届かない。しまいには「じゃあ勝手にしなさい!膿んだら脚ちょん切らなきゃならなくなるよ!そうなっても知らないからね!」とヒステリーにならざるを得ない。お母さん仕事から帰ってまだ夜ご飯も食べてないんだよ、もう10時になるじゃないか、勘弁してよもう‥
そこまで言ってようやくのろのろ動き出し、痛いだのお母さんは絶対に触らないでだの大騒ぎしながら絆創膏を剥がしてシャワーに向かう。

私の娘とは思えない。
そりゃ私だって痛いのは好きじゃないけれど小学生の頃は転ぶなんてしょっちゅうだったし、その度に怪我もしてたけど、マキロンつけて絆創膏貼って、気がついたら治っていた。
今の子は弱いなあ、我々の頃は‥

そこまで考えてハッとする。
転び慣れてないのだ。ただでさえ都会っ子、輪をかけて小学校は校庭の改装工事をしており、運動する機会はなくて劣悪の環境だった。休み時間に遊べるような場所などなく、「安心して怪我をする」機会は一切なかった。小さな怪我を繰り返すから大きな怪我もしないで済むし、怪我をしても擦り傷なら消毒しておけばそんなに騒ぐことはないということも娘は知らなかったのだ。
肘も少し擦りむいていたようだ。転ぶ前に手が出て頭や顔を守ることができたことをむしろ褒めてあげるべきかもしれない。
転んだことがなければ起き上がり方も立ち直り方もわからないだろう。

白いゴールテープが見えたと言う。
きっといつもより夢中で走って足がもつれたのだと思う。1番になりたかったんだね。
あと一歩。あと一歩で栄光をつかめたのに。

あと一歩でスイスに逃げることができたスティーブ・マックイーンも、結局は国境を越えられずバイクごと鉄条網に突っ込んだ。緑色の軍服を着たドイツ兵たちに一斉に銃口を向けられる。やれやれまた捕まったか。傷だらけで不屈に微笑む。
背後でアルプスが皮肉なほど美しく映える。

「大脱走」 (原題:The Great Escape 1963 米)

第二次世界大戦下のドイツにおける捕虜収容所からの集団脱走を描いた、戦闘シーンのない異色の戦争映画。名作中の名作。その昔私が思春期で父親とは口もきかない日々の中、「ジュンコさん この映画は観るといい」と強く勧められた映画の一つだ。大学生の頃ビデオを借りて観て以来、何度も借りて観直し、リバイバルで上演された時は映画館でご年配の方々の中大スクリーンで観た。美しいドイツやスイスの風景が色鮮やかに描かれ、収容所においても後方撹乱という責務を全うしようとする、連合軍の捕虜軍人の姿は何度観ても飽きることはない。Blu-rayも手に入れ、やはり繰り返し観てしまう。

スティーブ・マックイーンが演じるのは、アメリカ陸軍航空大尉バージル・ヒルツ。捕虜収容所からの脱出を試みること17回。その度に独房に入れられ、「独房王 The Cooler King 」と呼ばれる。グローブと何でもないチノパンが誠によく似合う、クールな一匹狼の役どころだ。
捕虜となっても敵国を混乱させようと脱走をするのだが、必ず見つかって連れ戻される。
「Cooler! 10days!」
ドイツ語なまりの激しい英語で宣告される。
独房に向かうヒルツに仲間が投げてよこすのは、グローブとボール。暗くて孤独な独房の中、ひたすら壁にボールを当てて過ごすのだ。
冷たいヘルメットを目までかぶった背の高いドイツ兵が、微動だにせず背中でボールの音を聞いている。

何度も脱走をするうちに、脱走そのものが目的であり生きがいになってくるようにも思える。しくじった時にどうやり過ごすのか。転んだ時にどう立ち直ればいいのか。起き上がるその時の表情や行動から目が離せない。どう脱走するのか。綿密に練られた入念な計画、下っ端のドイツ兵を懐柔して弱みを握り必要な物資や情報を手に入れるいきさつ。
それでもやっぱり抜かりはあって‥
書けばキリがありませんが、これ以上はネタバレになるので興味を持たれた方はぜひご覧になってくださいね。

教室の壁に貼られた「勇気を持ってバツをもらおう!」の標語も、起き上がり方を学ぶにはなくてはならないこと。マルバツという結果ではなくその考え方の過程、その試行錯誤そのものが重要なのであり、その先にしか成長はない、ということなのだと思う。
6年生のみなさん。バツをもらったとき、「え?何で?」と、自分の軌跡を振り返って自分で間違いを発見してきたその積み重ねが多い人ほど、どんどん学力が伸びています。
5年生のみなさん。間違った時にいいわけをしていませんか?残念ながらこれから算数はもっと難しくなっていきます。目の前のことをひとつひとつクリアしていくのみです。個人差も出てきますが、他人と自分を比較して落ち込んだり劣等感を持ったりせず自分の間違いを正していこうよね。

清浄綿とJohnson&Johnsonのでっかいたっかい絆創膏を渡す。
娘よ、わかったか、転んだら痛いのは当たり前なんだぞ。立ち上がればいいんだぞ。学べ。

翌日学校から帰ってきてニコニコして娘が言った。
あ、最初のレースですっごい転んでた子だね?って、知らない先輩に言われたよ。
名前覚えてくれて嬉しい、いいこともあるね。

だって。

あ、そういう風に立ち直ったのね。
まあいいか。頑張ってくれたまえ。

大脱走ののちに捕まったヒルツは当然また独房。誇り高く薄暗い部屋でまたボールの壁当てを始める。
その音に、機械のようなドイツ兵が一瞬立ち止まり振り返る。
明るいマーチ曲でThe End。
私の一番好きなシーンです。(ネタバレごめんなさい!)