スパイダーマン~二次元の視点からの飛躍~
壁にぶち当たった。
比喩ではない。
7.5メートルの壁を登ることのできるというクライミングの施設を見つけたので、娘と訪れてみたのだ。
その日の定員ギリギリで申し込んだら、まだ空きがある、大人も体験できるというので、お母さんもやりなさいと娘に言われるがままやることにした。
今まさに登っているところを見学してみる。簡単そう、とまでは言わないけれど、あれとあれをつかんであそこに足をかけて、…上級コースは無理だけど、初級コースならなんとかいけるかな、と思った。
のが、甘かった。
何せ7.5メートル。インストラクターからいくつか注意を受けた。
まず、ハーネスをつけているので、万が一手を離したとしても絶対に落ちて怪我をすることはないということ。わ、落ちた!と思ったら、なるべく壁から離れること。(壁に沿って降りるときに出っ張りに当たらないように)
手ではなく、実は足で登ること。着実な足場を探りつつ、しっかりつかんで登っていくこと。
コース別に突起が色別になっているが、ルールとして、黄色と決めたら黄色、赤と決めたら赤、というように同じ色の突起を手でたどっていかなければならないこと。(私は初級のオレンジコース。同じ色をたどっていけば、大きく斜めに登ってしまうこともない、というねらいもあるとのこと。)
人が登っているのを見ると、次はあそこだ、頑張れ負けるな少年、ほらもう少し手を伸ばして、ああその足場じゃ不安定だよほらほら言わんこっちゃない、なんて、実にいろいろよくわかる。壁にへばりついている、さながら虫のような存在を、客観的に三次元的に勝手に俯瞰できるのだ。
しかし。実際やってみるとまるで違う。
下から見上げると、どれがつかみやすそうな突起かさえわからない。いける、と思ってつかんだのに、意外に滑って思うようにいかない。焦る。落ち着け、まずは足場だ、どこだどれだ、よし、大丈夫、次の手はどこをつかめばいい?あ!右手じゃ無理だ左手だ、
それはオレンジじゃないですよー
と、下から声が飛んでくる。しまいには色さえわからなくなってくる。
…重い、手が痛い、筋肉が限界だ、時間がたてばたつほど不利になる。
…だめだ、降りるときはええと…壁から離れる!
で、壁を蹴って手を離す。…蹴りすぎて反動で壁に、ぶち当たったのだった。
教卓からは子供の様子は一目瞭然にわかる。50人、となると自信はないが、30人くらいまでならだいたい何をしているかわかる。10人ならすべて掌握できる。集中しているかしていないか、疲れつつも取り組んでいるか、難しいから試合放棄か、答えが合わずイライラしているか、あるいはわざわざ難しい複雑な方法でアプローチしているか。
答えが地平線遥か彼方にあると思っている子は、這いつくばって一歩ずつ解答に近づこうとする。それは、粘り強さ、と呼んでもいいし、何としてもマルをもらうんだという力わざ、根性と呼んでもいい。
でも、机にへばりつく子供たちを教卓という3次元から見下ろしていると、あ、そこはそうじゃない方が計算楽だよ3.14だよ分配法則を使わなきゃ、ああそこは単位が違うよそこを間違えるとどんどん答えが遠ざかるよ…と、迷路を延々とさまよい続けている様子が丸見えなのである。
もし、少しでも、今の自分が行っていることを俯瞰で見る視点を持っていたら。
正くんの時速が1800㎞なんて答えや、どう見ても鈍角を15°なんて答えることはおかしいと気がつくであろうに。地面を這いつくばっているから見えないのだ。
フィールドという二次元でプレイするサッカー選手は、一流になるほど、コートの中で自分がどこに走ればよいか、パスを出せばよいか、わかるという。地面を走り回っているようでいて、ドローンでフィールドを見下ろす三次元的鳥の視点を持っているのだ。
これでいいのか自分に足りないところはないか、どうすれば素晴らしいプレイができるのか。ただ走り回っているだけではダメで、常に改善と進歩を心がけているのではないかと思う。
まずは問題文を読む。よく読む。式にできるところはないか、できることはすべてやる。えーこれわかんなーい ではなく、どこがわからないか考える。できるところはあるでしょう、線分図、面積図、書こうとしたか?とにかく補助線を引いてみたか?やることをやっていない子ほど、ここは読んだの、式たてられるでしょう、と言うと、「あっ、そういうことなの?」なんて言う。まるで、なんだそんな簡単なことならわかるわよ、とでも言うように。
そうよそんな簡単なことよ、そんなこともわからない自分を恥じなさいと、こういう発言はすかさず指摘させてもらう。
式をたてたらバリバリ正しく正確に効率よく計算するべし、戦車のように力強く。
そして、何でこうなるのかな、ここはどうしたら突破できるかなと思考したときにふっとジャンプできる知恵という飛躍力。今自分がとっている方法は正解に向かっているかどうか、見通す力。
その、見通す力はどうやったら得られるか?
残念ながら、これは得手不得手があって、個人差がある。だけど、いじけず経験を積むことで、少しずつ見通す力はつくし、正答率は上がる。
そう、こんな壁、わけないはずだ。
今度は黄色の突起を登っていこう。
ここまでたどり着いたら、あの突起に足をかけ、あの二股に別れたところを右手で持って…
作戦はバッチリだ。
2回目。
…作戦は悪くないはずだったけど、やっぱり下から見ると全然景色が違う。そして何より、先程の1回目で体力を使い果たしたのが痛恨のミスだった。先程の半分も登れず、空しくレスキュー隊のように降下。
腕が痛い。今夜は包丁など握れそうもない。
晩御飯を作らなければならない日常という二次元から、今夜は外食!というウルトラCを繰り出してジャンプをして、夜の街を歩いた。
壁に張り付いているだけではない、手のひらから糸を出してニューヨークをビルからビルへ飛び移るスパイダーマンの気分で。