[コラム]『赤ずきんちゃん気を付けて』~ドリブル~

~ドリブル~
天気予報、あまり当たらなかったな。
関東地方大雪のおそれ。平野も5センチほどの積雪の見込みと昨夜言っていたのに。
去年のスノーシューズはまだ入るかなと娘に履かせてみて玄関に並べる。明日は寒いよ、暖かくしてお休みと寝かせて、部屋の窓を開けてみる。夜の空気は十分に雪の匂いがした。積もったら雪かきをしなくちゃと面倒に思いながらもやっぱり私も少し楽しみにしてしまう。

鉛色の空、今にも雪が落ちてきそうな朝。
結局用意していたスノーシューズは履かずに娘は登校した。石油ストーブの上のヤカンから白い湯気が立ちのぼる。
お昼近くになってようやく、埃のような雪が舞い始めた。重い雲とは裏腹に雪は一向に強く降る気配もなく、ふわふわと舞っては止む。
この程度なら買い物に行っておこう。考えることは皆同じ、スーパーマーケットは混雑して思ったより時間がかかる。

ドリブルの音が近づいてくる。角を曲がると男の子の歓声。
「これで4-1ね!」
「今のはずるいって!」
はいはいちょっと失礼しますよと、元気の良い男の子たちの間を割って通ると、自転車のカゴにネギを刺した私にちわーすと挨拶してくれる。
この寒いのにTシャツで。
私には雪が降っているように見えるんだけど?
「大丈夫っす!」
受験近いから風邪ひかないでねとお節介を焼いて家の中に入る。ドアを閉める私を、うイースと低い声が追いかけてくる。

いつからだろうか、お向かいのお兄ちゃんがバスケットボールを始めたのは。
始めは1つだったバスケットボール、妹たちも取りあって喧嘩になる。お母さんは諦めて買い足し、合計3個?になった頃、頼み込まれて観念したのよと、バスケットゴールがベランダに付いた。ごめんね、うるさいでしょう、溜まり場にならないようにするからと、いつも申し訳なく謝られた。
いいのよ全然気にならないよ。ドリブルの音、私好きなのよ。

本当に。

ドリブルが聞こえない日はない。多少の雨でも関係ない。多分、風邪なんかひかないんだろう。お母さんが「雨強くなってきたんじゃない」「ご飯できてるんだけど!」と言っても、はーいと返事をするだけで一向に家に入らない。我が家の洗面所の窓からそんなやりとりをいつも楽しく聞いてしまう。そうだよ結構な雨だよ、ご飯作ってくれてるんだよ温かいうちに食べなよ。お母さんに共感しつつも、日に日に背も伸び肩幅も広くなる男の子を、頼もしくも思う。そうだよねえ母親のいうことなんて聞かないよねえ。それでこそ中学生男子だよねえ。
自分の息子なら腹も立つんだろうけれど、人様のことだと微笑ましく見守ることができる。勝手なものだ。
大学の先生であるというお父さんも、夕方のドリブルは日課になったようだ。赤いキャップを反対にかぶり、規則的で生真面目なドリブルの音、これはお父さん。ランダムで重いドリブルの音、これは中3の兄。ぽんぽんと軽いドリブルの音、これは1番下の女の子。小学校低学年で小さいのに、実に上手くシュートを決める。真ん中の中学生の女の子は、やはりバスケ部なのだけど、思春期であまり外に出てこない。
台所に立ちながら誰がドリブルをしているか、見なくてもわかるようになった。

受験生なのにちっとも勉強しないのよと、お母さんがよく嘆いていた。でも、本気になった時の中学生男子の伸びようはすごいことを私は知っているので、そしていつも実に気持ちよく挨拶ができる子であるので、きっと自分の道は自分で選ぶし大丈夫と思うよといつも答えた。これは嘘ではない、本当にそうなのだ。中3、15歳は自分の進路を自分で選べるし決めることができる。また、そうでなくてはならないと思う。もちろん親は具体的なアドバイスを提示することはするけれど(大学進路状況、通学経路、部活率、クラス編成、等)、義務教育ではないのだから子供も多少はぴりっと考えざるを得なくなる。

中学受験の難しさは、そのほとんどが本人の意思ではないということだ。
医者一家で兄も中学受験をしたので自分も当たり前という家庭環境だったり。あるいは地元の公立中学が荒廃しているから受験をするということはあるかもしれない。あくまで本人発信の受験希望、環境的な理由で受験をするようになる。そういうケースはたくさん見てきた。(◯◯中学のミュージカル部に入りたいというような、ポジティブな理由で受験をするケースも中にはあります)
しかし一方で、(誤解を恐れずに言えば)必要のない中学受験も実にたくさん存在する。
世の中のお父さんお母さん。たとえ中学受験に「失敗」したとしても、学んだことはためになった力がついた、勉強の仕方がわかってこれからに生かせる。とか、思うでしょう?
結果的に「失敗」だけで終わる勉強を積み重ねてきたことの、なんと危険なことか。
遊びたい盛りの子供を座らせる。特に勉強があまり好きではない、苦手意識がある子にとってはとりわけきつい行為となる。授業をしてても、小テスト開始!と言った瞬間に問題を眺めるふりだけを始めるような、今ひとつ意識が甘い子は受験間近になれば少しはピリッとするのだろうか。自分の解ける問題を確実に解き自分より少しレベルの高い問題に挑戦しようと思うようになるのだろうか。
いつか時期が来て、勉強でなくてもなんでもいいので素直に向き合える、努力のできるものが見つかればいいなと果てしなく祈りつつ、集中してやろうよなんていつものように注意する。

勉強してくれさえすればいいと、家の手伝いはおろか勉強したら欲しいものを買ってあげる親御さんもいるとか。そういう子は3年4年で成績が維持できているうちはいいけれど、5年6年で周囲の子が本腰を入れ始めて伸びた結果、その子の「偏差値」が下がり始めた時、本当に困ったことになる。成績が伸びないことを周囲のせいにしてイライラを溜め込んだり爆発させて暴れたり。子供を伸ばす中学に進学してほしいとさせている受験勉強がそれでは本末転倒ではないだろうか。「自分はダメなんだ」と、自己肯定感の低い自信のない子に育ってしまうのではないだろうか。
机に座らせる=他の有意義なこと(運動して体を鍛える、友達と過ごす中で社会性を身につける、家の手伝いを通して家事の大切さ大変さに触れる、etc‥)に取り組む時間は当然減る、ということも念頭に置いておかなければなるまい。

あるいはもしかしたら受験に「成功」したとしても、中学受験には「見えない危険」もあることも意識しなければならないと思う。

勉強しさえすれば何やってもいいんでしょ?
テストクリアすれば親は何も言わないし

こんなことを自分の子供が言ったら、どうでしょうか。なんとも言えない人につっかかるようなこういう言葉が娘の口からこんな言葉が出たら、私はきっとギョッとすると思う。
大手企業で新人研修を担当している友人の話。
いわゆる「勝ち組」の研修。皆さんそれはそれは優秀なんだけど、研修中出されたお菓子のゴミ、誰一人持ち帰らないんだよね。机の上に置きっぱなし。君たちねえ、自分で出したゴミはきれいにして帰りなさいとため息混じりに部長が言ったら、次回からみんなそのゴミをきれいにたたんで机の上に置いて帰ったんだよ!
久々に会った友人とワイングラスを持つ手も固まり、この国はそんな感じだったっけと、昭和の私たちは気が遠くなった。
しかもね!(ワインを注いでくれる)
頭にきた部長がゴミ箱抱えてゴミを集めて回り始めても、誰も手伝わないの!‥

ゴミを集めるのはゴミ収集人の仕事、そうでない人間が行うことはその人の仕事を取ることになる。そんな国があることは事実だけれど(インドとか?)日本はそうではないはず‥という私すら高齢化して、果てには「老人がうるさいこと言ってるよ」と、若者に揶揄されることになるのだろうか。

閑話休題。

中学受験はもちろんゴールはある。もちろん結果は大切だ。でも、結果よりも何よりも、4年5年6年という大切な3年間をどう過ごすかということのほうが、取り返しのつかない大切なものであるように思う。大人の3年と子供の3年は違う。人間が形成される大切な時期。勉強していく中で価値観やモラルやマナーも身についていくような、そんな勉強を積み重ねてほしい。順位を気にして劣等感のみ育ってしまうような、あるいはテストの点数や塾のクラスで他人を見下すような、そんなせまーい、つまらなーいことに終始しないでほしい。その芽が見え次第、「人に自慢することが勉強の目的ではないよ」と注意してきた。(ここではそんな子は見たことがないけれど)

勉強は自分のためにするもの。小学生がそれを理解することは時には難しいかもしれない。
でも、へえそうなんだ、世の中ってそうなってるんだ、ということを算数という教科を通して少しでも感じることができたら、それは自分だけの経験。それが宝で原動力。勉強しつつ成長できるはずだ。

高校受験が終わり、また大きくなったような気がする元気な男の子たちが晴々とバスケットをしていた。
受験終わった?
終わりましたあ!コイツを除いてみんな第一志望合格です!
コイツと言われた男の子はテヘヘと笑う。都立の結果待ちですけど、まー可能性5%かな!
おうおう、どうあれそれだけ元気なら大丈夫、どんな高校でもまた頑張れるよ!おめでとう!
ありがとうございまーす!
思わずみんなに肉まんとか差し入れたくなる。頼もしいなあ。

聞けば、お兄ちゃんは理系よりの高校に第一志望で合格したという。
大好きな先輩がその高校でね。父親が文系だから息子も文系だと思ってたんだけど、わからないものね。
そう。結局、親にはわからない。おいしいご飯作って送り出して、帰ってきたらおいしいご飯で迎える。母親にはそれしかできないねと笑い、いつもの井戸端会議を切り上げる。

ポニーテールの背の高い女の子、この前お兄ちゃんとバスケをしていた。
お兄ちゃん、かわいい彼女ができたのねとお母さんに言いかけて、あまりにも野暮なのでやめた。

変なウイルスが流行っているせいで、中学卒業記念でみんなで行こうと計画していたディズニーランドも何もかも、皆なくなってしまったんだって。私の娘も小学校卒業。卒業式こそかろうじてできたけど、その他は中学の入学式も何もかもなくなってしまった。志村けんさんも亡くなってしまった。辛いのは世界中みんな同じ、頑張らなきゃと思うけどなんだかしょんぼりしてしまう。

力強いドリブルの音が今日も変わることなく響く。
いつものように。
春の足音であってほしい。