うさぎ おいし…
小学校の5年生の頃だったか。とある日曜日の朝、いつものゆっくりした朝食の後で、母と姉と3人でお茶を飲みながらおしゃべりをしていたときである。父は、早朝からゴルフに出かけていて、女子3人でおしゃべりするのが日曜の朝の風景であった。
わたしは、音楽の時間に「ふるさと」を習ったけど、「あの歌は残酷な歌だと思う、」と切り出した。
「兎、追いし かの山 小鮒釣りし かの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき 故郷」
かつての日本人の郷愁をそそる歌である。
「えッ、なんでー」
「だって、うさぎを食べておいしかったっていうんでしょう。だから、うさぎが可哀想だ。」と、言ったことを覚えている。
「うーん、何言ってるの。あれは、うさぎを食べて美味しかったっていうんじゃなくて、野山でうさぎを追いかけて遊んで楽しかったっていう、故郷を懐かしんでいる歌なのよ。ホント、なに馬鹿なことを言ってるの。」と、母と姉から笑われたことを覚えている。
一人暮らしを始めた大学生の頃、丁度、作家の向田邦子さんの没後20年あたりだったか、少しブームになっていて、書店の特設コーナーに著書や関連本、写真集が平積みされていた。わたしも何冊か手にとり、小説やエッセイを買って読んでいた。
その中に「夜中の薔薇」という題名のエッセイがあって、向田邦子さん自身が女学校のとき、シューベルトの子守歌で「野中のばら」を「夜中のばら」だと思い込んで歌っていたエピソードがつづられていた。
そして、「うさぎおいし…」の歌詞についての勘違いの話も併せて書かれていて、わたしも読みながら、自分の小学生の頃の『あの時』のことを思い出していた。同じような勘違いを向田邦子さんもしていたんだ、と少し自分のなぐさめになったことを覚えている。
それから一年程して、母から手紙が届いた。当時はまだ、改まったことを伝えるには手紙であったと思う。
そこには、最近、向田邦子の随筆を読んでいたら、「うさぎおいし…」の歌詞の話があり、「あなたが小学生の時にまちがった理解をしていたことを馬鹿にして、笑ったことを思い出した」ことがつづられていた。
「向田邦子さんも同じようなまちがいをしていたことを知って、『あの時』あなたを笑って申し訳なかった」と。
母も私と同じ頃、向田邦子の本を読み、「ふるさと」の「うさぎおいし…」の歌詞から、私との『あの時』のことを思い出していたんだ、と思って嬉しくなったことを覚えている。
その母も昨年、突然の病から帰らぬ人となった。
今にして思えば、あれが母の詫び状であった。
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