[コラム]『赤ずきんちゃん気を付けて』~うっかり育っている小松菜~

うっかり育っている小松菜~やってみるもんだ!

同僚の理科の先生から、5月のある日小松菜の種をもらった。
スナップエンドウと茶豆の種も。

いつかやらなきゃいかんと思っていた、植物の栽培。
子供を育てる上でとても大切なことを教えてくれます とか、そんなことを聞くともうざわざわしてしまって。
わかってる。継続は力なり。毎日水をやれば必ず大きくなる とか、育っていくのを見るのは楽しいですよ とか、子供に水やり当番をさせたら命の大切さを理解させられますよ とか。
そんなことを聞くたびに、ああどうしようやらなきゃもう来年は中学生になってしまう、ともやもやと焦りばかりが膨らんで。

なにせ、私が三日坊主。

日記なんて、三日目どころではなく二日目から適当になった1月2日が学生時代に何回もあったし、20歳を過ぎて生意気にワインの味がわかりたいと、家で飲んだものだけでもラベルを記録していこうと買ってみた、ワイン帳。(ラベルを丁寧にはがして張り付けます)

結局張ったものはたった1枚だったことも忘れて本棚に紛れているところを主人に見つかり、大笑いされた。見るたびに吹き出して楽しい気持ちになるからとっておくのだって。ヒドイ。

だから、種をもらったとき、うわーどうしようまた私は失敗するのかーと思った。枯れたときのいいわけは、長雨か日照りか虫食いか。ムカデかモンシロチョウか台風か。

1秒でいろいろなことが頭をめぐったけど、2秒後に私は、優雅にありがたく種をいただいた。

できない、できなかったらどうしようと思うことをやめるチャンスかもしれない。

やってみるのだ。

私の母は、花を育てるのがとても好きな人だ。何でこんな乾いた土地にと普通なら思うところにも、土地に合う苗や種を植え、幼い頃私や弟の映る写真の向こうには必ずチューリップや松葉ボタンが映っていた。ひまわりが私の背丈をはるか越えて伸びて、種をつけすぎて気味が悪くなったことも、油断して全く足を踏み入れない裏庭のホウセンカが見たこともないくらい大きく伸びてゾッとしたことも。
母は、全部知っていた。
オバケホエセンカは無視したし、ひまわりは子供がふざけて種を引っこ抜くのも構わなかったし、あるいは熟しすぎた柿が庭に落ちていたとしても山椒の木がアゲハ蝶の幼虫だらけでも全く気にしない母だったけど、ひとつだけ、チューリップだけは春になると咲き誇るように、いつも気を付けていた。
庭のある家からマンションに引っ越したときも、ベランダにプランターを置き、晩秋の頃にチューリップの球根を植える。最近ではインターネットで色々な球根が手には入るらしく、今年はどんなチューリップかなと私も春を楽しみにする。

でもさあ、どうせ春まで芽が出ないなら、3月になったときに植えればいいじゃない、11月に植えることないじゃない。

いつか言ってみたことがあった。

でも、それじゃ芽が出ないみたいよ、寒さを土のなかで越さないと。なんだかダメなんだって。

そう言って笑う、それが母の強さかなと思っている。

なんだかよくわかんないけど、そうみたいよ、じゃあその通りやっておこうね。

世の中すべて説明できることばかり、ではないと思う。
こうだからこうと言えることもあるし言えないこともある。理由や原因がわかったところでどうしようもないこともある。
なぜチューリップの球根は冬を越さなけれ芽が出ないのか?
きっと理科的な説明はあるはずだけど、そんなものを飛び越えて、
なんだかよくわかんないけどそうなんだって
と、毎年美しいチューリップを咲かせることができれば、それはとても素敵なことだ。

せっかく植えた松葉ボタンの苗を隣のワルガキが踏んでったよ!
そしてまたせっせと苗を植える。
アンタねえ、夏なんだから朝顔くらい植えなさい。
特に子供を持ってからは毎夏言われてきた。
そんな朝早くから世話もしないし見る時間もないし、いいよ私は、朝顔は。

植物の世話は向かないなと思っていたけど、もはや向き不向きではない。
やると決めたのだ。

ホームセンターでプランターと土を買う。野菜にオススメの肥料も買う。
とにかく植える。袋の裏を見てその通りにやってみる。
肥料を与えすぎると茎ばかり伸びて実が育ちません。
水をやりすぎて根腐れをおこさないように
ふむふむなるほど。
家の屋上は日光降り注ぎ放題だ。特に朝日が当たるように、場所を決めて完成。
娘もつられて、いくつか花の苗を買ってきた。屋上をお花畑にしようと言うけれど、そんな風にいきなり盛り上がりがMAXになるところは私によく似て順調に育っている。

数日で双葉が出て、中から本葉が出てくる。毎日大きくなる。朝が楽しみになり、夕方にはお米の磨ぎ汁を与える。(なぜか知らないけど昔母に言われてよくやっていた)

双葉が本葉になり、中からどんどん葉を増やし、スナップエンドウにはツルが巻けるように支柱を立てた。
気がつけば小松菜は、私もよく知るあの葉に育っていた。
どうしよう、これ、食べられるんだよねと収穫してみる。お味噌汁にする。
濃い。

味噌汁全体に小松菜の味がする。
なぜだ、なぜあんなに砂つぶのような種からこんなものができるのだ。
茶豆のプランターに、見たことのないへんてこな細かい虫がついた。理科の先生に聞くと、お酢を薄めた液か牛乳をスプレーするといいですよ、とのこと。
お酢?牛乳?合わせたら分離するものだよね? なんで???

理科の神秘は私を混乱させる。
あまり深く考えるとその深淵に身がすくむので、その領域には踏み込まないようにしている。

とにかくそうだということだからやってみる。理由はわからないけど言われたことを鵜呑みにして前進するのみだ。

最近、面白い質問の仕方をする生徒がいる。
解けたのだけど、何で解けたかわからないと、ノートを持ってくる。
どれどれ。

6年生の目下のテーマは、「ある数量を①と置くこと」だ。
さしずめ中学生なら、xやyを用いて方程式に持ち込むところ、小学生ではそうもいかないのでどうにか数量関係を正確に処理してなんとか正解にたどり着く。もちろん理屈は通るけど、方程式で解くよりよほど気を使うし(マイナスの世界は小学生は扱えないことになってるからね、苦肉の策の線分図なんかも導入しつつ)、解けたあとも何だか、??、という気持ちになったとしてもいたしかたないなと思う。
その当り、その子はスッキリしないのだろうと思う。
その子の式を図式にしたり、補足で解説をしたりすると、あ、そうか、と府に落ちてスッキリするようである。

よくわからないけれど、算数のルールを守って手を動かして試行錯誤して解いたら出来た→でもなぜできたのかわからない→出来た理由を質問する→理解する

これは算数を進めてく上で最強の方法だと私は思う。今はまだジリジリ、基本的なことも含めてじれったい部分もあるけれど、夏以降解ける問題が飛躍的に増えると思う。「何でなのかよくわからないけどできちゃった!」を積み重ねて、うっかり算数が得意になっていた!ということに、誰でもなれると私は信じている。難問は最初から解ける訳ではなく、一歩一歩近づくものだから、地味な作業を面倒がらず続けてほしい。どんな飛躍もその上にしか成り立たない。

一方で、いつまでも自分のやり方に固執してしまうケースもある。それで正解が得られているなら構わないが、授業で私がやらない方法でいわゆる公式なるものに当てはめようとするけれど、その公式が使いこなせなくていつもいつまでも同じところにいる。いや、今後周囲の子が伸び始めたら、停滞ではなく後退になるだろう。諦めず何度も厳しく教えるけど、「このやりかたじゃダメなんだな」と、本人が思わない限りどうにもならない。私の手の届かないところはたくさんあるのだ。ある日どうか、はっと気がついてほしい、そして方針を変えてほしい。自分以外の場所にたくさんの正解はあるのだと、見栄を張らずに認めることができますように。

気がついたらスナップエンドウも実をつけている。ぷくぷくとふくよかに育つまで待って収穫、シンプルに蒸してみた。
甘い。ありがたい。
あとは茶豆かな、おいしい実ができますように。咲き始めた小さい白い花に期待を込める。
茶豆のお供のビールも待っている。
今日もせっせと水をやる。
何であんなに小さい種からこんなものが育つのかなあ。
やっぱり不思議でたまらないけどね。
それでもぐんぐん育っている。
私の生徒も野菜たちも、うっかりどんどん大きくなあれ。

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#算数 伸びる子と伸びない子の違い