なまいきシャルロット
半年も会わないだけで女の子はこうも印象が変わるのかなあと、しばらくはピントが合わない写真を撮ろうとするようなもどかしい心持ちになった。並んで歩く目線は私と変わらないし(座ると小さいのだけど)、話し方もどことなく大人びて私は少し寂しくなる。友達のお嬢さん、3歳の頃から知っているはずなのに。14歳らしく憂いをたたえた表情に、私はふと昔みた映画のタイトルを思い出す。
「なまいきシャルロット」(1985 仏)
思春期にさしかかった13歳の女の子の一夏の話。身の回りで起こる小さな、あるいは大きな出来事に何となくもやもやイライラした毎日を過ごす。という、いかにもフランス映画らしいストーリーだ。
主演は当時14歳のシャルロット・ゲンズブール。父は音楽家セルジュ・ゲンズブール、母は女優のジェーン・バーキンという芸能一家のサラブレットだ。
当時私が驚いたのはその足と首の長さだけではない。その映画で一躍脚光を浴びた彼女は後に様々な雑誌に登場する。どの写真を見てもいつも不機嫌そうにまっすぐカメラを見ているのに、それでいてどこか素直な弱々しい表情をしていたこと。すり切れてくたびれかけた白いTシャツと白いスニーカー。洗い古したジーンズ。「着飾らない」ことを武器に、無防備な眼差しの奥に、年齢特有の危うさが感じられた。
映画や写真ではそんな「生の14歳」がデフォルメされているのだろうが、目の前の現実の14歳にもそれを感じるとは。私が歳をとったということなのだろう。
それでも少し話していると、以前のままの屈託のない明るい表情が見えてきてホッとする。核の部分は変わりようもないんだなと改めて思う。
さてそれでは娘が2年後思春期を迎えて複雑な表情を見せたりアンニュイな雰囲気を身にまとうようになるのか、現状からは甚だ想像もつかない。反抗だけは立派なのだが。
私の生徒たちはもう少し年下なので、まだまだ子供である。友達のバットを勝手に触ってウヒョヒョ!とふざけたり定規で遊んだり(定戦、ジョーセンというらしいです)、男の子も女の子もあまり境目がなく元気に話している。年によっては著しくマセてしまう学年もあるが、今年はそういうことはなく私は安心して受験に向けて指導ができる。(思春期の子はそれなりに気を遣うのです‥)
それでも少しづつ、雰囲気は受験に向けて真剣さが増してきたように思う。小テスト1つとってもぴんと張り詰めて集中できることが増えてきた。まだまだ気持ちに学力が追いついてこない時もあるし、今日はたくさん解いたよ、もうやりたくない!と思ってしまう時もあるけど、コロナで暑い夏もみんな休まず元気に勉強してきたことが実り始めているように思う。入試期間になれば午前も午後も問題を解かなければならないのだ。今手を抜かないように、自分を高めていこうではないか。大人になっていくあなたたち。今が頑張りどきです。自分に偽りなく向き合って1ミリでも前進しよう。
入試が終わると本当にみんな中学生の顔になる。久しぶりに遊びにきてくれる卒業生。中学生になっても通っている子たち。背が伸びて思春期を迎えるともう私には別人に見える。充実した中学生活を送っているのなら何よりです。
ただ自由になりたかっただけなの。
シャルロットの最後のセリフ。
なかなか大人にはならないしなれないことがわかってまたいつもの生活が続いていく、そんな風にその映画はおわっているんです。
大人になってしまった私には応援することしかできないんだけど。
いろいろがんばれ。見守ってます。